社会不適合者だけど何とか生きてる

仕事が出来ず、人間関係もうまくいかず、悩み苦しみ仕事を転々と繰り返している(現在進行形)アラサー女のエッセイ漫画を投稿していきます。自分が無能なのでは無いかと悩んでいる方へ、世の中にはそれ以上に無能な人間がいるのです・・・。

【最低】派遣をバックレ退職したアラサーの懺悔






こんにちは、社会不適合者のカナ子と申します。

私はつい最近まで派遣で経理事務をしていたのですが、わずか10日足らずで、しかも派遣先や派遣会社に大きな迷惑をかける形で退職してしまった話をしようと思います。


このことは今でも物凄く後悔していて、しばらく自己嫌悪に陥りました。


会社を無断欠勤してバックレてしまうと派遣先、派遣元、両方に多大な迷惑をかけてしまいます。

どれだけ仕事が辛くてもバックレて辞めることはオススメしません。


今回は批判覚悟で体験談を綴らせて頂こうと思います。










1.仕事探しを急ぎすぎて失敗






私は次の仕事も決めていない状態で前職を辞めていたため、とても焦って仕事を探さないといけない状況になっていました。


仕事から解放されたと思うと今度は収入がない

という現実にジリジリと追い詰められ・・・

社会人は気の休まることがありません。


また、私は短期離職ばかりで仕事が続かず、旦那にはまた辞めたの?と呆れられていたので肩身も狭かったです。


その不安から私は片っ端からバイトに応募し、派遣会社にいい案件がないか電話で聞きまくっていました。

そしたら、ちょうどその頃に経理事務の募集があり、簿記の資格も事務経験も持っていたので面談で即採用をして頂くことができました。


退職からわずか3日ほどのスピード内定でした。

やればできるじゃん!と久しぶりにダメな自分を褒めることができました。

しかし、前職の事務の仕事が難しくてそれが原因で辞めてしまったのに

こんな私に経理など務まるのか?

という不安もありました。


ただ収入がないという不安の方が大きかったため、深く考えずに入社することに。

当然仕事内容は難しく

私のような知能の低い人間につとまる訳もなく・・・

ある程度の貯金はしていたので、もう少し慎重に職場を選べば良かったと心底後悔しました。

全ては安易に決めた自分の責任です。





2.会社を辞めたいと思ったきっかけ






就業場所は自宅から車で20分ほどの綺麗なオフィスで、時給は1300円と、とても良い条件でした。


朝礼で会社の方に挨拶を済ませた後、私の教育担当と初めて顔を合わせました。

その担当は40代くらいの女性だったのですが、第一印象は


見た目がものすごくヤンキーで怖そう・・・


でした。


私はヤンキーが大の苦手で正直この時点でかなり萎縮してしまいます。

でもまだ軽く挨拶したばかりだし、見た目がヤンキーなだけで優しい人かもしれないし、もう少し様子を見ようと気を取り直して頑張ることに。


そしていざ教わるとなると、彼女は仕事の教え方がとても雑で、それがかなり大きなストレスでした。

仕事の説明も早口で大雑把、あとはやっておいてと冷たく放置するというスタンス

残念なことに、彼女は見た目通りの怖い人でした。

経理事務は未経験でしたが、ただ簿記の資格があったのである程度は分かるでしょ?

と言った感じの接し方でした。


そんな感じなので仕事を進めると当然分からないことがたくさん出てくるわけです。

しかし相手が怖いヤンキーであることに完全に萎縮してしまっていた私は、彼女に話しかけるというだけでもとても勇気が要りました。

なので会話は最低限

そのせいか後からたくさん出てくるミスの数々・・・

どうして聞かないの?と何度も注意される結果になりました。

これでは駄目だと思い、分からない方はその都度確認するようにしたのですが

それがもうやり辛くてストレスに感じ、嫌で仕方なかったです。

合わない人と仕事をすることに耐えられませんでした。



その他には、私一人の時に電話が鳴った時

電話はまだ取らなくていいと言われていたのと、ややこしいことになるといけないと思い、電話には出ませんでした。

そしたら電話を出なかった私に、どこからともなく現れた社長は激怒

「なんで電話出ねーんだバカヤロー!!!」


と怒鳴られてしまい、それもとても恐怖でした・・・。

社長からしたら私が電話に出れないなんてことは知ったこっちゃない話なので仕方の無いことですが


派遣社員を雇ったのも私が初めてらしく、人の入れ替わりもあまりないという会社だったので

他の部署の人たちからはすれ違いざまにとても奇異な目で見られたり、挨拶を返して貰えなかったりそれもストレスでした。

全体的に従業員の口調も荒く、若い社員を虐めていたりと嫌気がさしていたので、もう即座に辞めたいと思うようになりました。


様々なことが重なって、私はお昼休みに派遣会社に初回更新をしない方向で連絡を入れました。

派遣は契約期間が決まっており、1ヶ月目の初回更新をしないにしても、またそこから1ヶ月は働かないといけません。

私は思いました

こんな状態であと一ヶ月半近くも耐えられるだろうか・・・と。


私の豆腐以下のメンタルでは確実に無理だと確信していたので、派遣会社にどうにか早めに退職できないかお願いしたのですが、当然取り合
って貰えず。

結局契約満了まで働く方向で説得されてしまいました。


3.会社をバックれたときの心情






休日が終わって月曜日の朝。
仕事に行く準備をしなければいけないのにも関わらず、体が動きません。

お金のためとはいえ、また会社で嫌な思いをしなければいけないのか・・・。

休日は仕事のことばかり考えてしまい
夢でも仕事のことでうなされ
食事をしようとすると吐き気もして

心休まることがありませんでした。


私は仕事のために生きているわけじゃないし

ただストレスなくお金を稼いで、少ない休みは趣味を楽しみたいだけなのにそれすらできない

ということに絶望しました。



仕事なんて他にもいくらでもある。旦那にはまた呆れられるだろうけどまた次を探したらいいじゃない。


そうやって自分を甘やかすことばかり考えているともう止まらなくなってしまい・・・


私は勢いのまま派遣の担当に


「体調が悪いので休みます。
職場が合わないので今日で辞めます」


とLINEをしてしまいました。

返事には

「了解しました。
お休みのことを会社に伝えておきます」


とだけ記載してあり、退職のことは触れられませんでした・・・

私はその日から会社に行かなくなり、無断欠勤をすることになりました。


後々私はとんでもないことをしてしまったと自己嫌悪になったり、これで良かったんだと。自分可愛さに自分を正当化したりを繰り返しました。

本当に社会のクズだと思います


4.会社をバックれて困ったこと





会社をバックレたことをひたすら後悔した後は再び収入がない事への不安が襲ってきます。

私はすぐさま新しい仕事を探すことになるのですが
正式な退職手続きを踏んでいないため

ちゃんと退職できているのか

雇用保険は外れているのかどうか

が確認できず、
とても困りました。

健康保険と違い、雇用保険は二重加入できないため

もしバックれた会社で雇用保険が外れていないまま転職してしまった場合は新しい会社で加入することはできません。


そうすると、もし前職を不誠実な形で退職したことがバレてしまうと、新しい職場もクビになる可能性があります。


ハローワークで加入状況を調べて貰えるみたいではあるようですが

もし万が一外れていなかった場合はバックレた派遣会社に連絡しないといけなくなります。


このようにバックレをしてすぐに転職する場合は様々な弊害が生じます。



どうしても追い詰められて、仕事のストレスで過労死寸前、とかならバックレも許されるのかもしれませんが

安易な気持ちでバックレするのは本当にオススメしません。


おかげで私は自分な甘い立派なダメ人間に出来上がってしまいました。自業自得ですね。




大葉カナ子

めちゃくちゃ辛すぎた調理補助の仕事の話


こんにちは、社会不適合者で仕事がなかなか続かないカナ子と申します。


20歳前半の若かりし頃、私はとある老人ホームの調理補助のパートをしていました。


なぜこの仕事を選んだかというと、短大で栄養士の資格を取ったものの、実務経験もない状態で栄養士として働く自信がなかったので、まずは現場を知ろう、とかそんな感じの理由だったと思います。昔のことなので記憶が曖昧ですが…

時給は当時の最低賃金で800円だったと思います。

仕事の内容は
老人ホームに入居されている方への食事提供
で、主な業務としては

食器の洗浄
食事の運搬
食後のおやつと紅茶を用意する
野菜などの仕込み


などなど。

私は調理師免許を持っていなかったので簡単な仕事を任されていたのですが

どん臭くてコミュ症で要領の悪い私にとても務まる仕事ではありませんでした。

そのため、仕事は二ヶ月で退職することになったのですがその理由を詳しく書いていこうと思います。











1.仕事ができない上にコミュ障で周りに嫌われた







すぐに辞めてしまった一番の理由はこれです。


ただ、これに関しては私が鈍臭くて物覚えも悪く、ミスをたくさんしていたのが原因なので自業自得です。

こういった調理現場は時間との勝負で、何事もテキパキこなさないと食事の提供時間に間に合わなくなってしまいます。

特に大変だったのが食器の洗浄

200人分ほどある食器を40分ほどで洗浄していくというなかなかハードな内容です


業務は

食器の汚れを落とす人(私)
落ちているか確認する人


という役割で行っていたのですが、鈍臭い私は

お茶碗についた米粒を落とす事に大苦戦・・・

チェックをする人は私よりも若い調理師の女の子だったのですが、毎日のようにダメ出しをされていました。

その子に怒られることが怖くて、200人分ほどある食器一つ一つをフルパワーで洗ってきたので腱鞘炎になりかけました。

しかし、全力でやっていたのにも関わらず

やはり頑固な米粒なので綺麗に落とせない時もあり、その都度小言を言われて辛かったです。
(他のベテランのパートさんができていない時はスルーなのに・・・)

他には焦るあまり食器を割ってしまったり

紅茶の作り方を間違え、苦すぎる紅茶を提供してしまってクレームを貰ったり

野菜の切り方を間違えていたり・・・

他にも書き出すとキリがないほどのたくさんの失敗をしました。

期待されていたのにも関わらず情けなさすぎてかなり落ち込みました


更には元々コミュ力もなくて世間話にも入れず浮いていた私

仕事が出来ないことで同僚たちには更に呆れられ、嫌われて

狭い厨房の中で毎日のように無視され、聞こえるように悪口を言われ、自業自得ですが本当に苦しかったです。







2.毎日当たり前のサービス残業

パートの定時は20時だったのですが、定時で帰れたことは一度もなく、毎日22時過ぎまで残業していました。

3人という少ない人数では定時にはとても終わらないような仕事量だったので

毎日必然的に残業になっていました。

勤怠はタイムカードではなく手書きで記入する
というものだったのですが

終わった時間通りに記入すると

定時で書き直せと注意され、勤務時間を書き換えられてしまいました。

流石にこれは納得がいかず、おかしくないですか?と抗議したものの

この会社は残業してはいけないルールだし、どこの会社へいっても同じだよ

と言われてしまいました。
同じパートのおばさんに・・・

確かに、私はここの他にも別で調理補助の仕事をした経験があるのですが

そこも同じように手書きの勤怠だったので、この業界では当たり前なのかもしれません。


残業してはいけないと言いつつ残業しないと終わらない業務量だなんて、今思えばあり得ない話です。


当時は社会人経験も乏しく、何より精神的に参っていたので残業代を請求することなく泣き寝入りしてしまったのですが

当時当たり前のようにサービス残業していた自分に腹が立ちます。





3.強い洗剤による酷い手荒れ




食器の洗浄は肘まである長いゴム手袋を付けて行いますが

必死で洗っているうちにどうしても水がゴム手袋まで入ってきてしまうので、酷い手荒れに悩まされていました。

私は家庭用の食器洗剤でも酷く手荒れするタイプなのにも関わらず

大量調理の現場では業務用の洗浄力の強い洗剤を使うため、手が荒れに荒れました。


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まるでナイフで切ったかのようでした。

衛生の都合上絆創膏も貼れず、皮膚科でもらったハンドクリームも役に立たず

傷に洗剤が染みて痛い思いをしながら毎日必死に食器を洗いました。

今思えば傷口から感染症に罹らなくて良かったです。




4.感想(まとめ)







調理補助の仕事は飲食関係になるので業界自体がブラックなんだな、という印象でした。

そもそも仕事内容からして時給800円なんかでやるようなものじゃないです。

その上狭い現場での狭い人間関係で本当に苦しみました(これは自業自得ですが)

めちゃくちゃ要領良くてテキパキこなせる人なら向いているかもしれませんが

私が働いた2箇所の調理補助の仕事現場はどちらも無給での時間外労働なんて当たり前
だったので、貴方が他に仕事を選べる状況であるなら私はお勧めしません。

これから先どれだけお金に困っても二度とやることは無い仕事だと断言できます。


大葉カナ子 
 

【2話】新卒で入った会社を2ヶ月で辞めた話



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初めての入る会社、初めて出会う会社の同僚ち。これだけでもストレスだというのに更に苦手な呑み会・・・。今は新型コロナウィルスでこういった宴会を開く機会は少なくなったと思いますが、私が新卒だった10年前は新入社員の歓迎会という名の飲み会は当たり前のように開かれていました。

お酒が飲めない私は一刻も早く家に帰りたかったことだけは今でも鮮明に覚えています。

大葉カナ子